「ロワゾ・ブルー」宮川綾子オフィシャルブログ

2018.8.28 | カテゴリ:ブログ

真っ直ぐな眼差し<前編>

おはようございます。
東京在住のサイモントン療法認定カウンセラー宮川綾子です。

私は以前、1頭の犬を飼っていました。
亡くなって、もう10年になりますが、
今も大切な存在です。
15年前の8月29日は、
その犬、ごんが我が家のコとなった日でした。

今日と明日、以前、サイモントン療法協会メールマガジンに
掲載させていただいた、ごんのお話を、
リニューアルして載せさせていただきます。
長文になりますが、お読みいただけると幸いです。

–☆–☆–☆–☆–☆–

「犬がいるよ。」

18年前の、まだ残暑厳しい9月のある日、
リビングに降りて行った私に
母が話しかけてきました。

窓から外を覗いてみると、
家の前の道の向こう側に、
柴犬を大きくした位の大きさの
茶色い犬の姿が見えました。

迷い犬なのか?捨てられてしまったのか?
首輪はしていませんでした。
暑さで疲れているように見えたので、
母とお水を持っていってあげると、
ピチャ、ピチャ、ピチャ、
ピチャ、ピチャ、ピチャ…(^^♪
わんちゃんは、美味しそうに、
リズミカルにお水を飲むのでした。

・・・それが、私たちの出会いでした。

それからしばらく、そのわんちゃんは
うちの近所を放浪していました。
わんちゃんは私たちになついてくれて、
母が自転車で買い物に行くのには、
走ってついていったりしていたようです。

近所の人たちも、そのわんちゃんに、
それぞれ名前をつけて呼んでいたようですが、
私は母との間で「ごん」と名付けました。

それは、「ゴン」さん?ちゃん?の愛称で親しまれている
サッカーの中山雅史選手からいただいたのでした。

怪我をしながらもプレーしている
中山選手のタフな姿をテレビで見ていて、
あんなふうに逞しく、
そして、愛嬌があって、
多くの人たちから愛されるわんちゃんでいてほしい!
そんな思いからつけた名前でした。

ごんを我が家で飼えたらよかったのですが、
父が動物嫌いで猛反対だったため、
断念せざるをえないか…と思っていたところ、
ごんは、あるお宅で飼われることになりました。
その年の秋も深まってきた頃のことでした。

ごんが飼われたおうちは、
私たちが日々買い物をするスーパーに行く途中にありました。
ごんは外飼いで、
3年間そちらで過ごしたのですが、
ご事情があったのでしょう、
お水やペットフードが何日もそのままだったり、
排せつ物が犬小屋の近くに放置されていたりと、
だんだんと、あまりお世話してもらえない状態に
なっていってしまいました。

ごんはストレスを感じていたのだと思います。
放浪していた頃は、
人にも他の犬たちにも友好的だったのですが、
気が荒くなっていき、
犬を見るとすごく興奮して暴れて、
手がつけられないような状態になっていきました。

私たちは、時には、
道に転がってしまっていた排せつ物を処理したりして、
ごんのことを気がかりに思いながら、
過ごすようになっていきました。

そんなふうにしていたある時、
母がごんの飼い主さんから
「そんなに可愛いならいつでも連れていったらいいよ」
と言われたのでした。

この機会を逃したら、
きっとごんはどこかに行ってしまう…
私たちは父に殆ど土下座をして頼み込み、
外飼いを条件に、ごんを家族として
迎えることができたのでした。

–☆–☆–☆–☆–☆–

夢にまで見たごんとの生活(^^♪

しかーし、
喧嘩っ早くて、20キロ位あったごんの力は強くて、
犬を飼うのが初めてだった私たちは、
最初の頃は、ずいぶん振り回されました(笑)
おさんぽ中に、母は引きずられて骨折したり、
私は噛みつかれたり…
いろいろありました o^^o

ごんは、体罰を受けたことがあったのかもしれません。
それまでリラックスしているように見えていても、
私が自分の髪についたゴミをとろうと
何気なく手を頭に上げたら、
バッと戦闘態勢になり、敵意に満ちた目で
私のことを睨みつけることもありました。
人間に対する不信感があるようでした。

ごんは怖かったのでしょう。
自分の身は自分で守らないとと
頑張っていたのだと思います。
私はごんに、
そんなにひとりで頑張らなくていい、
私たちのことを信頼して、安心してほしいと
思っていました。

ドッグトレーニングを重ねながら、
私たちはお互いの理解を深めていくよう努めていくと、
私は、ある時からごんが変わったのを感じました。

それは、ごんは、私たちを
「信頼することに決めた!」
そんなふうに思ってくれたように感じられたのでした。
そうして、私たちは心を通い合わせていきました。

さて、私たちの長年の悩みは父の母への暴力でした。
それは酒が入ると度を増し、
全くコントロールがきかなくなりました。

命の危険を感じることもありましたから、
私は何度も家を出ることを母に提案しました。
でも母は、
そんなことをしたところで逃れられるわけない…
そう人生を諦めていました。

そんなある日、
何十年も毎夜毎夜繰り返される同じ展開に
私はいい加減うんざりしてしまい、
込み上げてきた怒りを抑えきれず、
母にぶつけてしまったことがありました。

怒りの矛先は…
身勝手に家族を苦しめる父でしたが、
実は、人生を諦めてしまっていた母にも
向けられていました。
そして、何より、こんな状況の中にいても、
何の役にも立たない、
無価値であると感じられた自分に対してでした。

後にも先にもこの時だけですが、
私は怒りで身体が震えました。

すると…
ごんが私の傍らにやってきました。
そして、
おやつを持っていたわけでもないのに、
私の手のひらをペロペロと舐めだしたのでした。

そのうちにごんの舌は乾いて
ザラザラになってしまいましたが、
それでもごんは目を伏せたまま、
ただただ静かにひたすら、
私の手を舐め続けるのでした。

ごんは、一生懸命、私の心の傷を
癒そうとしてくれているようでした。

また、ごんは、
母や私の前に回り込んで、
自分を盾にして、
父から私たちを守ろうとしてくれたこともありました。

–☆–☆–☆–☆–☆–

そんなある日、「事件」は起こりました。

「ごんが…ごんが殺される!! 早く帰ってきて!!」

夜の11時位だったでしょうか、
私は帰宅途中の電車の中で、
泣き声の母からの電話を受けました。

最初は何を言っているのか
よくわからなかったのですが、
酒に酔って大声で喚き散らす父にごんが吠え、
それに逆上した父が、
ビール瓶だかでごんを殴り殺そうとしてきた、
それは何とか逃れたけれど、
もう家にはいられないから、
ごんを連れて家を飛び出した、
今は近くの公園にいるから、
そこまで来てほしい、
ということなのでした。

やるせない気持ちで
私がその公園にたどり着くと、
うなだれてブランコに乗っている母と、
その横で、ゆらゆらとおしっぽを振る
ごんの姿がありました。

家に帰るわけにもいかず、
その夜は『3人』で野宿をしました。
外飼いだったごんは、
一晩中私たちと一緒にいられたからでしょうか、
ちょっと嬉しそうでした。

でもそれは、実は私も同じなのでした。

なぜなら…

母が家を出ることを決意したからなのでした。

–☆–☆–☆–☆–☆–

今日はここまでにしますね。
長文お読みいただき、ありがとうございました。
心から感謝いたします。
後編に続きます。

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