宮川綾子公式サイト

2018.1.12 | カテゴリ:ブログ

慈悲のエネルギーに包まれて

おはようございます。宮川綾子です。

七十二候では
「水泉動(しみずあたたかをふくむ)」
に入っています。
暦では、地下を流れる泉の水が溶けだす頃、
近くでは蝋梅の花が
ほころんできているのを見かけました。
まだまだ寒い日が続きますが、
春への歩みは始まっているのですね。
皆様いかがお過ごしでしょうか。

私はこの年末年始、
ティク・ナット・ハン禅師のいらっしゃる
タイのプラムヴィレッジでの
マインドフルネスのリトリートに
参加してきまして、
今日はそのときのことから
綴ってみたいと思います。

それはリトリートの2日目、
ブラザー、シスターによる
観世音菩薩様のチャンティングがありました。

チェロの伴奏から始まる
やさしい調べに身を任せ、
心穏やかに聴き入っていれば、
美しく神聖な瞑想ホールが
たちまち観世音菩薩様の
慈愛に満ちた温かいエネルギーに
包まれていくように感じられ、
気づけば、涙が溢れていました。

マインドフルネス、
それは、今この瞬間に気づき
目覚めているエネルギー、
それは人生に深く触れることを、
一瞬一瞬くりかえしていく実践であり、
マインドフルネスの極意は
まず、呼吸に気づくことといいます。

呼吸に気づく、
私自身、それをとても大切にしたい、
そういう思いがあります。

その理由の一つは、
かつて、このようなことがあったからでした。

その時、私は
「自分には存在価値がない」
そんな思いに苛まれ、
心は深く沈んでいました。

どこかへ出かける気持ちにもならない中、
何か月も前にフェイシャルマッサージの
予約を入れていたことを思い出しました。

行くことと、キャンセルすること、
私にはキャンセルすることのほうが
ストレスに感じられたため、
気分転換にでもなればと
出かけることにしました。

マッサージの途中、
フェイシャルマスクを顔にかけられ、
セラピストの方は
一旦お部屋から出て行かれました。
ところがそのマスクが
少々鼻の穴にかかってしまっていて、
呼吸が苦しく感じられました。

手でちょっとよければよいだけだったのですが、
自分に投げやりであった私は、
「存在価値がないんだから、
 苦しくても、
 もうこのままでいいんじゃない?」
そんなふうに思ってしまいました。

次の瞬間、思考が止まり、
私の意識が鼻にいきました。

私の身体はそのままの体勢で、
ただ静かに、少しでも空気の入る道筋を探し、
取り入れようとするのが感じられました。
そして見つけた細い空気の通り道から息を吸い、
ほんのわずか、ほっとしたように
息を吐いたのでした。

自分に暴力的な思いを抱いていた私を
非難するでもなく、
馬鹿にするでもなく、
裁くこともなく、
何も言わず、ただただ
私の命を繋ごうと呼吸してくれている
私の身体を感じました。
なんだかそこには「慈悲」が、
「私の身体」というより、
そこに仏様が、観音様が
いらっしゃるような、
京都、東本願寺に掲げられている(た?)
「今、いのちがあなたを生きている」
という言葉をお借りするならば、
いのちが私を生きている、
まさに、そんな感覚をもったのでした。

それは、
ほんの一瞬、
ほんの一息のできごとでしたが、
-でもそこに全てが含まれていると
言えるのかもしれませんね-
それは私が自分を取り戻す、
自分へ慈しみの目を向ける
きっかけとなりました。

そのようなこともあり、
観世音菩薩様の存在と、
今、自分がここにいることの幸せを感じ、
涙が溢れてきたのでした。

そうして、チャンティングを聴きながら、
この美しい調べに乗って、
観世音菩薩様の深く温かい
慈悲、慈愛のエネルギーが
どこまでも広がり、
私の心が癒されたように、
今、苦しみをもつ人たちの心が
少しでも和らぎ、癒されることを願い、
そして、私にできることを思いました。

観世音菩薩様は、
慈悲とすべてを傾けて聴く偉大な存在、
世界のあらゆる音-苦しみの叫びを聴き取り、
理解することのできる菩薩様だといいます。
そして、観世音菩薩様は、
世界の「音」をじっくりと観察し、
深く観る実践をとおして悟りを得られたと
言われているそうです。

少しでも観音様のように慈悲深く、
その腕となれたらと願い
実践したいと思いますが、
それにはまず、
自分を愛すること、
大切にすること、
ありのままの自分を受け入れ、
自分自身を慈しみと理解の目で
観てあげることだといいます。

そうして自分の感情に気づき、
自己理解を深めていくことが
苦しみを、安らぎや慈悲に変容させる道に
つながっているのだと。
また、自分の苦しみを理解できて初めて
人の苦しみを理解できるのだといいます。

思いやりの実践は
まずは深く観る実践から、
私たちの誰もが持つ
その慈しみと理解の目を
他の人にも向けてあげる、
そうして得られた深い理解は、
思いやりをさらに促す、
理解と慈愛は
相互に相手を成り立たせている
ということなのですね。

そして、
『法華経』のベトナム語版の
観世音の章(普門品)のなかには
「旅を楽しむ」とか
「滞在を楽しむ」という句があるそうで、
偉大な菩薩様とは
この世界で安穏でいること、
そこでの旅を楽しむことができる者のことなのだ、
ともティク・ナット・ハン師は書かれていますが、

そのように、
これらと同時にとても大切なことは、
自分の中の喜びと幸福の種に気づき、
日々育てていくことですね。

人とのつながり、
食物とのつながり、
動物たちと、自然とのつながり、
叡智とのつながり…
あらゆる繋がり、関わりの中で、
そこにあるやさしさ、思いやりを
存分に受け取らせていただき、
喜び、感謝に満たされたタイリトリートでした。

その慈悲のエネルギーは
わたしの中の慈悲の灯を
少し大きくしてくれたようにも感じられ、
これからはそれを大切に、
日々実践し、育んでいくこと、
そして、
それを必要とされる方がいらしたなら、
その方の足もとを照らす灯となりたいと思うのでした。

-◇-◇-◇-◇-◇-◇-◇-

長文お読みいただき、誠にありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
皆さまにおかれましては、
どうぞ豊かで健やかな一年をお過ごしくださいませ。

(参考書籍:ティク・ナット・ハン著
 『ブッダの幸せの瞑想』 『法華経の省察』)

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